間瀬秀一がクロアチアのスポーツポータル「SPORTNET.hr」で紹介されました!(日本語版)
クロアチアのスポーツポータル「SPORTNET.hr」で紹介された記事の日本語版です。
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「クロアチアと強いつながりのある日本人がモンゴル代表チームを率いることになった」
イゴール・シュティマッツ(インド代表)、ブランコ・イヴァンコビッチ(オマーン代表)、ドラガン・スコチッチ(イラン代表)に引き続きにもう一人 ”我々”の指導者がアジアのサッカー代表監督に就任した。
日本人の間瀬秀一(48歳)は、モンゴルのA代表チームとU-23代表チームの監督に就任した。
間瀬はアメリカ、メキシコ、グアテマラ、エルサルバドルのクラブでプレーしたのち、2000年にクロアチアへとやってきた。最初はシュパンスコとスラヴォナッツで短期間プレーしたのち、パグ島へと移り住み、ノヴァリャての17試合で10ゴールと3アシストを記録。ヤドランとの入れ替え戦では決勝点を決め、島内のクラブを2部リーグ昇格へと導いた。そして、翌2001/02シーズンに2部リーグのトルニェでプレーしたのを最後に彼は27歳で現役を終えた。
その後、間瀬はザグレブ大学哲学部でクロアチア語コースを受講し、Jリーグの通訳になるべく語学を磨いた。まもなくして2003年にジェフユナイテッド千葉(当時は市原)の監督に就任したイビチャ・オシムの通訳としての仕事を得ると、伝説的な指導者の下で多くのサッカー知識と経験を培い、Jリーグカップ(ナピスコカップ)のタイトルを制覇。イビチャ・オシムが日本代表監督を引き受けたのちも彼はジェフに残留し、アマル・オシムの通訳として、さらにヨシッブ・クジェのアシスタントコーチとして働いた。
2014年にS級ライセンスの試験に合格すると監督として独立。これまで3部りーグのブラウブリッツ秋田と2部リーグの愛媛FCを率いており、最高の成績は秋田での4位。チームを率いる際にはオシムのスタイルだけでなく自分のアイデアも活用し、攻撃的志向を持ち、多くの走力とダイナミズムを伴うプレーを要求する。
現在、モンゴルの代表チームはワールドカップ・アジア予選の第2ラウンドを戦っている。最近、日本に0-14で敗れたとはいえ、モンゴル歴史上初めて第2ラウンドに到達した。グループリーグはもう1試合残っていて、モンゴル・サッカー連盟(MFF)は日本サッカー協会(JFA)との提携により、間瀬を経験豊富なコーチとして迎えることに決定した。
間瀬はクロアチア語や日本語に加え、英語、スペイン語、ボルトガル語に堪能であり、人々は彼のことを「日本のモウリーニョ」とも呼んでいる。
掲載:SPORTNEThr(クロアチアのスポーツポータル)
2021年4月11日 11:25 PM | カテゴリー : 間瀬秀一